しんさんのブログ

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「人新世の「資本論」」 斎藤 幸平 (著)を読みました

本書を読み始めたきっかけ

この本は、とある日本の大企業の取締役の方が今読んでいる本として紹介していて興味を持ちました。
読み始めの感想は、これは資本主義を真っ向から否定するやばい本ではないのかということです。
しかしそれが環境問題、地球温暖化とリンクされていることでその説得力が増し、最後にたどり着くほど納得感がますます増していき、資本主義は終わらせないと人類が終わってしまうのかもという気持ちにさせられました。

脱成長コミュニズムをめざす

現在の日本は資本主義経済の下にあり、資本主義の中でも新自由主義と言われる経済体制で人々が暮らしている。
本書はそういう資本主義がいかに自然を破壊しつくし、自らの成長のために環境破壊を外部化し、最終的に壊滅的な結果に陥ってしまうかを説明し資本主義の抱える根本的な欠陥を述べています。 特に、地球温暖化、環境破壊に関して危機感が持たれてはいますが資本主義の本質的に抱える成長しとめどなく拡大するという性質から有限の地球環境はどんなに技術が進歩しようとも必ずどこかで自分たちにその負債が帰ってきて破滅的な終焉を迎えます。
環境破壊が進み戦争により自ら滅びるということもあり得ます。今はそういう環境問題をアフリカや途上国に押し付けて、先進国では危機的な状況が見えなくなっていますがいずれどこかの段階で必ず外に押し付けきれなくなった問題が先進国にも押し寄せてくると述べています。
そうならないための処方箋として資本主義に代わる社会体制としてコモンズという概念を提唱している。
マルクスは資本主義の究極の発展形として共産主義を提唱したが、経済成長の後に訪れる共産主義というマルクス資本論での考え方は失敗していることは歴史が証明しています。 実はマルクスの晩年の研究では資本主義的な経済拡大ではなく脱成長コミュニズムを目指していたらしいです。
すなわち資本主義を経ることなく脱成長コミュニズムに到達可能だと彼は晩年は主張していたそうです。

資本主義以外考えられない脳になっている

個人的な感想として、確かに著者の言うように今の資本主義体制では資本家以外の大多数の民衆は資本主義の駒として仕えることを強制されているのかもしれないです。
住宅ローンを抱え、膨大な額の返済金を数十年にもわたり返済すべくひたすら長時間労働し出世のために家族を犠牲にします。
快適で幸せな生活のために家を買ったはずなのに負債が人間を賃金奴隷にして生活を破壊していきます。
しかし、資本家側から見ると住宅ローンを抱えた人間はローン返済のために逃げることもなく、自ら進んで能力を提供してくれて、ひたすら勤勉に働き資本家の持つ価値を高める非常に都合のよい存在なのである、と著者は述べている。
確かにそうかもなとは思いますが、じゃあ今の資本主義が脱成長コミュニズムという社会体制に変われるかというとそれには人口が増えすぎているのではないかと思う。
土地や生産手段を希少化しそこから価値を増大させることでしか現在の人口をまかなうことはできないのではないのかと思います。
コモンズのような無料で共有できる使用価値は本当にあるのだろうかと疑問に感じました。

テクノロジーが果たす役割

資本主義という考え方があまりに当たり前すぎてそれについて疑問に思っていなかったが本書が資本主義の根源的な危うさを環境問題とリンクすることで単なるイデオロギーではなく 人類の存続にかかわる危機であると論じていることで、読者である私にも心の深くに資本主義に対する若干の懐疑が生まれてきました。
とはいえ、著者の言う脱成長コミュニズムを人類が構築した時に本当に素晴らしい世界が実現するのかにも疑問があるのですよね、そして今AIという新たなプレーヤーが生じて著者の主張にさらに変化が生じて行くのではないかと思うのです。
AIやロボティクスがコモンズとして機能すればひょっとしたら著者の言う素晴らしい持続可能な未来が開けるのではないかと思います。
でもやはり、AIやロボティクスも資本家によって人工的希少性を持たせられ「価値」と「使用価値」が交換され資本を生み出すための道具として搾取されるのでしょうか。
今はその瀬戸際にありますが、状況としてはAIはやはり資本家の手の中にあるように思います。従って必ずどこかでAIやロボティクスという先端技術も希少化され使用価値が価値に置き換えられていく方向に進んでいくでしょう。

次はピケティの「資本とイデオロギー」を読むべきでしょうか。